こんにちは。
突然ですが『評価』を気にしていますか?
社会人になると昇給や賞与に大きく関わってくるのが『評価』です。
そしてその評価に対して納得いかない人が大勢い存在します。私もその中の1人でした。
明らかに仕事が遅かったり頑張っていないような人が自分よりも評価が良いなんてことは全然ある話です。
何故そんなことが起こってしまうのかというと、その評価を行っているのが人だからです。会社によってそれぞれの評価項目が存在しているので、本来ならばその項目に沿って皆平等に評価されているはずが、人が評価することによって絶対に避けることができないものが生じます。
それが感情です。
結論を述べると、人間が評価をしている関係上、感情評価が入るので人によって評価基準が変わってしまうからということです。
どんなに結果を出していたとしても、評価する人間に気に入られていなければ良い評価を得にくく、反対にあまり良い結果を出していなくても気に入られていれば悪い評価は得にくいとも言えるのです。
そして結論をもう1つ。私たちの求めている『評価』というのは『お金』であるということです。
それではこの『評価』について私が勤めている会社で実際にあった例を基にお話ししていきます。
この記事のポイント!
・評価に納得いかない理由
・評価=○○
・評価を気にしない人の特徴
・評価は自分ではどうすることもできない
賞罰教育
幼いときに良いことをしたり学校で上位の成績を得て褒められたり、何かご褒美をもらったりした経験はありますか?これは完全に親御さんの育て方にもよりますが、このような良いことをしたら褒めたりご褒美を与え、悪いことをしたら叱ったりすることを賞罰教育といいます。
心理学者のアドラーという方はこの賞罰教育を否定しています。アドラーがこれを否定している理由は、賞罰教育が根付いて育てられた子供は大人になっても褒美(利益)が得られないと何もしなくなる可能性があるからというものです。例えば会社でトイレ掃除をするのって嫌ですよね?トイレだけではありません。社内で掃除をするというのは嫌だと思います。それは面倒くさいというのもありますがもう一つは「やったところで何もないから」です。もしも掃除をして「すごくキレイになったね。ありがとう!」と言われればうれしい気持ちになりますしまた掃除しようかなと思うかもしれません。
つまり自分の意志ではなく他者からの反応によって動いているわけです。これだと全然自由じゃないよね。というのがアドラーが賞罰教育を否定する理由です。
賞罰教育の弊害
それでは社会人になった時にこの賞罰教育の弊害がどのようになるのでしょうか?
私の先輩がよくこう言っていました。
「会社から全然評価されていない」
この方は仕事がとてもできる人です。確かに良い評価をされてもおかしくはありません。ならば本当に評価されていないのでしょうか?
実際にこういった悩みや問題を抱えている人は何人もいます。極論ですがもしも本当に評価が欲しい人がいればその人に「あなたはよく頑張っているのでA評価です」と言えば済みます。ですがそうはいきません。なぜなら社会人にとっての評価というのはお金だからです。
評価=お金(賞与、昇給)
つまり賞与や昇給が増えないと評価されていないと思ってしまうのです。もっと言えば「見返り」がなければ満足しない、正しくこれが賞罰教育の弊害だと言えるでしょう。そうでなければ評価されているかどうかなんていうのは評価をしている人間にしか基本分かりません。評価の基準となる内容は各企業によって異なります。とにかく結果をだせば評価される企業もあれば帰属性など仕事の結果だけでは表せないヒューマンスキルが評価につながる企業も存在します。
そういった人のためにインセンティブ制度を導入している企業もあります。
・インセンティブ制度とは・・・個人の仕事の結果によって賞与額を上げたり表彰したりすることによってモチベーションを向上させることです。
ですから評価=お金を貰えないと頑張る意欲がなくなってしまうのです。
評価を気にしない人
ではその逆に評価を気にしていない人はいるのでしょうか?
人は承認欲求があるのが普通です。ですが評価を気にしていない人も実際に存在します。もうお分かりだと思いますが先ほどの逆ですのでお金に執着していない人です。
生きていくためには確かにお金が必要です。ですが必要最低限生活ができていればそこまでお金は必要ではないと考えている人もいますし、お金に執着していない人の多くは仕事に対する考え方がまず違います。大半の人は仕事は生活するために必要な行動だと考えています。ですがそうでない人はお金より「やりがいと楽しさ」がその仕事にあるからという思いの中で働いています。
世間一般で言われている「成功者」の多くは「誰かのため」に働いている人が多いです。
評価は自分ではコントロールできない
評価を得たければ会社が求めている結果を出すのがもっともなことです。ですが評価する人によって評価はバラバラなのが事実です。評価する人が「こいつは生意気だから評価はあまりあげないでおこう」と思ってしまえば終わりです。結局なところ評価の全ては自分ではコントロールできるものではないのです。
だからこそ評価する側の人は公平かつ真剣に評価をするべきなのです。全く現場に顔を出さずにいる人が評価をしていたらきっと現場の人間は「なんで見てもないのに評価できるんだよ」と不満が出ます。
以前、YouTubeでも人気のある鴨頭嘉人さんという方がおっしゃっていたのですが、現場に顔を出さずに全く仕事ぶりを見てくれていない上司に「いつも頑張っているね」と言われると「ぬーん」と全く嬉しく思わず、更には「こういうミスがあったので次は気をつけてね」と言われると「うるさいな」と反感を買い、逆に現場にちゃんと顔を出して仕事ぶりをよく見てくれている上司から「いつも頑張っているね」と言われると「もっと頑張ろう」と意欲が沸き「こういうミスがあったので次は気をつけてね」と言われると「次はミスしないようにしなきゃ」と反省するそうです。
私はこの話を聞いたときに感銘を受けました。まさに私の部署では同じことが起こっており、部下と接している時にはっきりと理解しました。
やはり評価をする側は部下から「この人からの評価なら納得できる」と思われるような存在であるべきなのではないでしょうか。ですがそれはかなり難しいことでしょう。十人十色とはよくいったものです。ならば「その評価に納得してもらう」仕組みを作るというのはいかがでしょうか。
そして、本気で評価されたくても全然評価されてないと思っているのなら転職が一番手っ取り早い方法です。先ほども申し上げましたが評価は自分ではコントロールできないからです。それでも会社に不満を漏らしながら10年20年と働き続けても楽しいはずがありません。
会社の悪口ばかり言う人をご存じですか? 会社の文句や不満ばかり言う依存者
会社というのは実際に入社してみないと内部の事情なんて全く無知ですし、「○○ガチャ」なんてのもよくいったものです。
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