トラウマなんてない!
『嫌われる勇気』という本をご存じでしょうか?
この本が私に大きな影響を与えてくれました。
これはアドラー心理学を用いた”哲人と青年”の対話形式で話が進んでいく内容です。
これは中田敦彦さんも動画で絶賛していました。
そこで紹介していた三つの項目
でした。
この本を私は過去の自分に置き換えながら読んでいましたが心を打たれることが何度もありました。
まずは「トラウマなんてない!」という部分。これにはすごく驚かされました。
私は中学生の時にソフトテニス部に所属していました。
そして中学二年の時に新任で入った先生がソフトテニス部の顧問になりました。
私の目的はテニスを楽しむことでしたが、顧問の目的は試合で勝つことでした。
なので今まで楽しかったと思っていたソフトテニスがとてもつまらなく感じ、部活が段々と嫌になっていきました。
そして高校に入学しソフトテニス部から勧誘が来ていましたが私は断り続けていました。その時先輩から「なんでやりたくないの?」と聞かれ、それを中学時代の顧問のせいにしていました…。
ですがこの本を読んで思いました。
俺は先生を理由にして、ただソフトテニスがやりたくなかっただけなんだと。
そうですよね?
高校にはその時の顧問は存在しません。ただもしかしたら入部したとしてもまた同じようなことが起こるかもしれない。そういうところから私は逃げていただけだったんです。
皆さんもそんな経験はありませんか?
もう過去のことを考えても仕方ありません。
今から考えを改めて今から始めればいいのです。
客観的事実と主観的解釈
私は身長が160cmとかなり小柄です。
これが私にとってはかなりコンプレックスでした。
男なら高身長が好ましいと女性からすれば絶対条件みたいなところがあったからです。
実際にテレビやインターネットでそういったデータを見てみても、女性が男性と付き合う条件として高身長は必ずランクインしていました。
低身長だとしても性格がよければ・・・なんて思っていても、人の基本は第一印象で決まってしまうので性格は後回しです。
だから自分は男としての魅力がないんだろうなと思っていました…..。
そこで「客観的事実」と「主観的解釈」というワードが嫌われる勇気から出てきました。私は哲人と同じで「主観的解釈」だけでずっと考えていたのです。
そこで「客観的事実」で考えて、過去のことを思い出してみました。
すると確かに、「かわいい」、「若く見える」、「親しみやすい」、「近寄りやすい」
などといったプラスな言葉をかけてもらったこともありました。
モテたいといったような目的であるならば弱いかもしれませんが、それでも高身長じゃなくてもいいと考えを持っている女性もいます。人はデータを見たときに割合が多いデータだけに的をしぼりがちです。例え90%が高身長が好きで、10%が高身長でなくてもいいのならば、10%の方へ的をしぼればいいのです。
これのおかげで私はとても前向きになれました。
そして、自分の外見がどうとか、性格がどうとか、こんな行動をとったら相手に嫌われるだろうかなど悩むこともかなり少なくなりました。
自分のことを好きな人は必ずいますし、自分のことを嫌いな人は必ずいます。ですから自分のことをどう思おうがそれは自分の課題ではなく相手の課題なので、他者との課題をしっかり分離して「主観的解釈」だけに囚われず「客観的事実」に目を向けていければ、きっと誰もが前向きになれると私は思っています。
『怒り』を武器にしているだけ
仕事やプライベートでイライラする時ってありますよね?
そんな時、皆さんはどうされていますか?
例えばですが、思春期くらいの子供と親って時々喧嘩をすることってあると思います。幼い子供は言うことを聞きやすいのでお説教程度で済むこと後ほとんどですが、この思春期の子供は反抗期を迎えるとなかなか言うことを聞きません。
ですから親と子の言い争いはエスカレートしてきて怒鳴り始めます。つまり『怒っている』わけです。
こうなったらなかなかこの怒りは収まりません。
大体の人は相手が「ごめんなさい」と言うまでは怒り続けるでしょう。
更には学校の先生。
こちらは結構怒鳴り散らしている人多いですよね?
教室や部活で人数が多い時は皆に聞こえるようにするためにそうしているのかもしれませんが、1人や2人くるいの少人数でも怒鳴っている先生はいます。
その人も基本『怒っている』のだと思われます。
そして最悪なのは『暴力』です。
口で言っても無駄だからっていう理由で暴力にはしる人いますよね。これは絶対にダメです。
今まで挙げてきた例で、これらの人達全てに共通して言えるのが、実はその怒りって道具(武器)にしているだけなんですよということ。
どういうこと!?って思いますよね。
1度怒りだしたら興奮してコントロールできない。
先程挙げた例で暴力を振るっている人ですが、じゃぁもしもこの人に、「殴る対象を全く別の人に変えて殴っていいですよ」って言ったらきっと殴らないでしょう。
思春期の子供も親も怒ってる最中に友人から電話があったら「はい、もしもし〜」って怒りがふと収まるでしょう。
学校の先生も怒ってる最中に誰かに呼ばれたりでもしたら同様です。
つまり、その怒りっていうのは対象が変わると収まる。コントロールできるのです。
だから、怒りは相手を屈服させるための道具(武器)にしているだけなのです。
この考え方を知ってから私はイライラすることがかなり減りました。一瞬ムッてなることはあっても、その時冷静に考えてどうすればよいのか導き出せることができます。人は感情の強い生き物ですからこういうのは難しいことかもしれませんが、どうしても怒ってしまいそうな時は数秒でもいいので1度目をつぶって考えてみましょう。それだけでも違うと思いますよ。
話は変わりますが、アニメ『コードギアス反逆のルルーシュ』のセリフの中で、「許せないことなんてない。ただ許したくないだけ」というようなセリフがあります。確かにその通りです。
以上ですがご理解いただけたでしょうか?
怒りはアンコントロールではない。怒りは道具という考え方を持っていればばきっと、今までよりも怒り、怒鳴り、暴力を振るう機会は減ることでしょう。
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